| ■ 耐震診断を通じての古い仲間 |
まず両先生に、鈴木会長との出会いについてからお話を始めていただけますか?
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私は、工学院大学に入るまでは、建設省に在職し、構造関係を中心に研究してきました。鈴木会長とお会いしたのは、確か昭和62年に「耐震診断判定特別委員会」が出来て、その委員長を私が引き受けた時だったと思います。その時、副委員長としてつねに先頭に立って委員会を引っ張ってこられたのが会長で、最後まできちんとまとめて下さり、まことに配慮の行き届いた方だと強い印象を持ちました。以来、いくつも楽しい仕事を共にしてまいりました。
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私は大学卒業後、東京都に入り、ずっと構造関係の道を歩んできましたが、鈴木会長とは、昭和44年に東京都が建築物の耐震診断を始めた時からのお付き合いだったと思います。最初のころは、耐震診断という名前さえ知らず、どういうふうに診断していっていいのかわからず、会長もずいぶん苦労されたと思います。 昭和56年の建築基準法改正時には、事務所協会の「構造技術委員会」に参加していただき、あの分厚い『構造設計指針』を作る大変な作業を一緒に行った覚えがあります。今でも使われている材料試験の判定表や耐震診断要綱は会長らの地道な調査、研究によるものです。
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そうでした。震災予防条例による診断基準を作った時には、何もないところから作り上げましたから大変でした。
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| ■ 建築基準法大改正で、耐震設計基準も大きく変わる |
昭和30年代、40年代には地震に対する認識はどうだったのですか。
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昭和30年代のころは、設計者は当然、安全なものを作ろうという考えはあったと思いますが、法律的に合っていればいいというのが一般的でしたね。というのは、競争があるから鉄の量が多過ぎる、断面が大き過ぎるという話がどうしても出てくるわけです。40年代に入ると、建築基準法施行令がいろいろ変わり、耐震規定が強化されるようになりました。けれども、当時の設計者の認識も規定通りやればよいという程度だったと思います。ただ、地震の被害に直面するようになってから、意識も変わりはじめ、自分のポリシーで立派なものを作る人も出てくるようになりました。しかし、昭和56年の建築基準法の大改正以降は、設計者の意識もすっかり変わったように思います。
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56年といえば、私は数年の経験しかない駆け出しでしたが、それでもこんなに改正していいものかと思うほどの大改正でしたね。
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昭和39年の新潟地震、43年の十勝沖地震の経験から武藤清博士らの解析の結果、設計上地震動を相当大きく考える必要があることが分かってきました。また、新潟地震のころから上部のほうが大きく揺れることからAiという考え方が出てきました。昭和53年の宮城沖地震では偏心の被害がずいぶん出て、靭性の確保と形状の影響も考慮しなければならないという考え方になっていきました。地震を経験しながら耐震設計の理論もずいぶん精緻になってきました。
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裏話になりますが、耐震診断が始まったころ、費用が安すぎて設計事務所の関心が薄かったのです。そこで、耐震診断の意義を強調して、説明会に約40社ほど集まってもらいました。ところが、内容を説明しているうちに次々と消え、最後に残ったのは10社だけ。10社で耐震診断はスタートしたのですが、東京都の6千何社の会員のうち、5年後には5社になってしまいました。一般の設計事務所の認識はこの程度だったのです。
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| ■ 阪神淡路大震災で学んだこと |
平成7年の阪神淡路大震災では、多くの人々が大きな衝撃を受けましたが、耐震設計の面ではどのような影響があったのでしょうか。
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大震災以前に関西の設計関係者と耐震設計について話をしたことがありますが、関西には地震がないからと、耐震設計に関心が薄かったですね。後に関西の地震対策が不十分だったと指摘されましたが、耐震設計の面でもその通りだったとの印象を持っています。
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神戸には古い建築基準時代の建物が多かったのでしょうが、確かに被害は大きかったですね。設計面はともかく施工や工事監理の悪い建物が多かったですね。例えば、2階建のRCなのに土台に木を使っていたり、1階が鉄骨造で2階がRCという構造設計の常識からは考えられないような建物がありました。
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私は、思った以上に建築基準法の影響が大きかったと思っています。被害があった建物をRC造でみると、昭和46年以前をT期として、46年から56年までをU期、それ以降をV期と分けますと、一番新しいV期を1 とするとU期は2倍、T期は実に6倍の被害を出していました。また、神戸は高い建物が多かったということもありますが、構造部材の適切な配置でないものが多く、偏心と剛性率による被害が大きい。新潟地震や十勝沖地震の被害現場を見てきましたが、阪神淡路大震災の被害の大きさは比較になりません。
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構造設計や耐震設計を中心に昭和30年代以降の日本の建築設計の流れについてお話しいただきましたが、私も昭和35年の創業にあたり、構造設計に重点を置いてやっていく方針を立てました。意匠設計だけでは業績に浮き沈みが出て経営が安定しないことも大きな理由でした。また、創造経営という経営教育の影響を受けたせいか、業績が上がったら積極的に社員に還元する方針を当初から実行してきました。建築設計事務所は社員が最大の財産と考えてきたからです。
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阪神淡路大震災は、われわれ構造設計や耐震診断にかかわってきた者には多くの教訓を残してくれましたが、やはり技術者の良心が大切だと実感させられました。例えば、耐震診断でも簡便にする方法はあります。そこで問われるのは技術者の良心だと思います。その点、鈴木建築事務所はみなさん良心的な仕事をしていると安心しています。
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鈴木会長がボランティアで多数の役員を引き受けておられることに、かねがね感心していました。しかし、それも社員の方のバックアップがなくてはできないことです。
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最後に、21世紀の建築設計の展望と課題などについてお話しいただけますか。
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今後、性能設計と環境保全が建築設計を考えるうえで、キーワードになると思います。こうした観点を大切に勉強に励まれ、ご活躍されることを期待しています。
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技術者として生きていくためには、先を読むことがますます大切になるでしょう。今回の法改正の背景にある社会の流れやニーズの先を読みながら、性能設計や環境問題を勉強する必要があると思います。
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当社としては、両先生が言われたように、まず環境問題について確実に取り組んでいきたいと考えています。会社を創立以来、私は「長期・短期」「尺貫法」「せん断補強規準の改正」「新耐震」と4つも苦労させられました。また、今回の法律改正によって多くの点が変化することも事実ですが、大筋の変化をじっくり見極めて行動していくつもりです。IT技術の有効活用についても検討中ですが、現在イントラネットなどその具体的な対応を進めているところです。
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昭和56年の大改正でもずいぶんびっくりしましたが、今回の改正はそれを以上だと実感しています。性能設計についても、要はより進んだ構造設計だと理解しています。今後この傾向が進めば、車のように顧客志向で構造設計を選ぶ時代となることも可能であると考えています。今後、構造設計はますますやりがいのある仕事になるものと確信しています。
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今日は有難うございました。今後ともよろしくお願いします。
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